大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和家庭裁判所川越支部 昭和55年(家)675号 審判 1980年6月23日

申立人 西田千枝

相手方 岡本美智

事件本人 岡本恵子

主文

本件申立は、いずれもこれを却下する。

理由

一  申立の趣旨

申立人は、

(一)  事件本人の親権者を亡岡本俊夫から申立人に変更する

(二)  相手方は、事件本人を申立人に引渡せ

との審判を求めた。

二  本件ならびに関連事件記録及び審問の結果によると以下の事実を認めることができる。

(一)  本件に至る経緯

申立人は、北海道の出身であるが、中学を卒業後上京して喫茶店などで勤務していたが、昭和四二年ごろ、近くの寿司店に勤務していた亡岡本俊夫(以下俊夫という)と知り合い、同年一〇月ころから同棲し、同四三年一〇月三〇日婚姻の届出をなした。同四四年一一月八日事件本人(以下恵子という)が出生したが、股関節脱臼の疑いがあり、その治療費がかさみ、生活苦からのがれる為一家挙げて札幌に戻り、食堂、スナツク等を経営したものの恵子の手術費用、店員の人件費等がかさむうえ、俊夫は真面目に働こうとせず、生活は思つたほどに好転しなかつた。そうこうするうちに昭和四七年六月ころ、申立人は、スナツクに出入していた客(現夫西田節男)と親しくなり、昭和四八年二月ころ恵子を両親に託して駆落同然上京した(なお申立人は、当時俊夫との仲が悪化しており、恵子の養育を両親に託して出たので俗の意味での駈落とはちがう、という)。申立人は仲人の説得にも応ぜず、俊夫との離婚を決意し、同年六月ころ札幌に戻つてみると、俊夫は店も借金も投げうつて別の女性(相手方)と再出発する旨一方的に言い残し、恵子を連れて上京した。ところで相手方は、中学卒業後都内のデパートの店員として働いていた昭和三八年ころ、近くに住んでいた俊夫と知合い、交際を続けていたが、申立人一家が札幌に引揚げて以来交際が絶えていたところ、前記のとおり恵子を連れた俊夫の来訪を受け、事の始終を聞くと同時に自分に馴つく恵子の姿をみて不憫に思い、恵子に深い愛情を抱くに至つた。その後一旦俊夫は恵子を連れて離婚手続等のため札幌に帰り昭和四八年七月ころ俊夫は前記のとおり恵子を連れて上京し、相手方は恵子を預つた(以来今日に至るまで生活を共にしている)。

間もなく申立人は恵子を連戻しに上京してきたが、恵子は逃げまわり泣いて嫌がつたので申立人は諦めて帰つた。

その後俊夫・相手方は恵子と共に都内で生活していたが、昭和四八年一二月ころ埼玉県入間市に寿司屋を開店し、営業は順調に伸び、相手方は恵子を実子同然生活の中心に据えて生活した。その間申立人と俊夫との間で借金の返済方法、離婚問題、それに伴う恵子の引渡しなどについて何度か交渉があつたが結論が出ず、申立人は前記の経緯で知合つた現夫と昭和四九年四月ころから同棲を始め、俊夫とは同五〇年七月一〇日調停離婚(当庁昭和五〇年(家イ)第一三九号)し、その際恵子の親権者を俊夫と定め、同五一年七月現夫と婚姻し一女を儲けるに至つた(その後もう一子を儲け今日に至つている)。

その後俊夫は、昭和五〇年八月一八日相手方と婚姻の届出をなし(但し相手方は恵子との養子縁組はしなかつた)、同年一一月長男(俊彦)が出生したが、俊夫は同五二年四月二一日病死した。

そして昭和五二年五月、申立人は相手方に対し、当庁に子の引渡の調停(当庁昭和五二年家イ第一三九号)、親権者変更の審判(当庁昭和五二年家第五五四号)の申立をなしたが、恵子が相手方に馴ついている様子なので、争いをすることが動揺を与える虞があり、又これが永引くのは良くないと考え、いずれも同年一二月二〇日取下げた。

相手方は、昭和五三年五月ころから二人の子供を持つ大工の大沢康治と知合い同棲を始め、同月9日当庁に恵子の後見人選任の申立(当庁昭和五三年家第五五一号)をなした。調査に訪れた家庭裁判所調査官からこの旨聞き及んだ申立人は、相手方が何度結婚するのも自由だが、恵子を複雑な家庭環境に置くことによつて蒙るであろう精神的・肉体的な苦痛を考え、同年七月本件各申立をなすに及んだ。

相手方は、昭和五四年一月二七日前記大沢と婚姻の届出をなし、親子六人で生活していたが、大沢の親族が恵子や俊彦に冷淡な態度を示し、子供同志の折合いも次第に悪化し、恵子はなにかとすねる様な態度を示し出したので、相手方は親子三人で暮すのが良いと考え、同年五月三〇日大沢と協議離婚した。

(二)  当事者並びに関係人の本件に対する意向並びに生活状況等

(イ)  申立人

申立人は、左官職人の夫(月収三〇万円)と二人の子供と共に札幌市内の持家に居住し、自らも自動車教習所関係の内職をして月収七万円の収入を得るなど経済的には格別の不自由はなく、近くには食堂・下宿屋などを経営する両親が健在で、教育環境も自然環境にも恵まれている。現夫も恵子を引取り養育することに賛意を示し、むしろ熱心にこれを希望している。

申立人は、相手方が今日に至るまで恵子を養育してくれたことに感謝の意を表すると共に、後記の恵子の申立人に対する心情には致し方ないと思う反面、恵子は生れつき健康に優れず、相手方が今後再婚でもするようなことがあれば恵子が足手まといになつてお互い不幸な目に逢うであろうし又、昭和五四年五月下旬ころ相手方が申立人に恵子を引渡しても良い旨電話してきたこともあつて、是非この際恵子を引取り、養育したいと述べている。

(ロ)  相手方

相手方は、恵子に対し深い情愛をもつて養育してきたが、その背景には、俊夫が死亡直前に「恵子をよろしく頼む、恵子は実母の方へ行つても幸福になれない」と言い残した言葉、俊夫との間に生れた俊彦の存在によつて俊夫を思い起し、恵子をいとおしく思う心情があり、この先どんなことがあつても恵子を手離したくないと考えている。もつとも単なる同情心からのみではなく、教育面においても熱心で、厳しいうえにもこまやかな配慮をほどこし、継母子関係を感じさせない。又再婚の意思は目下のところ無い。

経済状態についてみるに、相手方は、昭和五四年九月ころから会社事務員として勤務し、月収一二万円を得る外、家賃収入として月額一〇万円、預金利子として年額四五万円の固定収入(以下は昭和五五年四月現在)があり、その面での不安はなく、将来恵子を大学にまで進学させたい意向である。

住居は、本年六月所沢市から入間市の市営住宅に転宅し、その一室を恵子の勉強部屋にあてている。

(ハ)恵子

恵子は現在小学校五年に在学中であるが、既に自分の置かれている立場・境遇についての認識を有しており、従来どおり相手方並びに義弟俊彦との共同生活を強く希望しており、申立人とは生活を共にすることは勿論のこと面会することをもかたくなに拒否している。

そして現況をみるに、相手方・義弟とは通常の母子・姉弟の如く振舞い、生活面では何不自由なく安定した毎日を送つている。

(ニ)  俊夫の父岡本健一

恵子の養育については当初、申立人も落ちつき、そのうえ相手方が大沢と再婚すると聞いて、申立人が引取り養育するのが望ましいとの意向を示していたが、現段階ではむしろ相手方が引取り養育するのが望ましい、との意向に変つている。

三  当裁判所の判断

(一)  親権者変更について

夫婦が離婚する際に親権者と定められた者が死亡した場合に、生存実親へ親権者を変更することについての可否については、種々議論の存するところであるが、当裁判所は、かかる場合事件本人に後見人が選任されているか否かを問わず、親権者変更の審判が可能であると考えるものであり、以下これを前提として検討することとする。

一般に親権者変更の基準については、特定の基準が存するものではないが、当事者双方の経済(扶養)能力、生活環境等の物的側面と、子に対する愛情、子の人格形成に影響を与える親族との人的交流等の精神的環境の側面を二大支柱とし、そのうえに子が事理を弁識し得る年齢に達していたならば、その自由な意思とりわけ思慕の念を尊重し、その他諸般の事情を比較衡慮して、いずれが子の福祉・利益にかなうかを判断すべきものと考える。

ただ本件においては、親権者俊夫が既に死亡しており、実質的には申立人の実情と恵子を養育している相手方の実情の比較衡量ということになるが、申立人は実母で、いわば潜在的な親権者とでもいえるのに対し、相手方にとつては、亡夫の連れ子であるという身分関係のちがいを考慮すると特別に慎重な配慮を要すると考える。

これを本件についてみるに

現在の物的環境の側面においては、申立人側においては相手方に比し特段のそん色は認められず、又精神的側面においては、申立人は過去において大切な時期に恵子を置いて上京し、夫以外の男性と生活したこともあり若干の疑念がないではないが、現状における申立人の恵子に対する愛情は諒とするに足り、又夫も恵子の養育に理解を示し、この意味に於ては申立人側の諸事情は相手方に比較して一概に優劣はつけ難いものがある。

なお、相手方が恵子を引取り養育するに至つた経緯については、暴力その他不法な手段がとられたとは、とうてい認め難い。

ところで恵子は三歳のときから今日に至る七年の間、相手方のもとで養育され、その間にあつて子供心ながら種々精神的動揺を体験してきたものと推察されるが、現に平穏に生活・通学していること、確かに大人の諸々の感情・暗示・示唆等により影響を受け易い年齢にありこの意味では不安定・未熟とはいえるが、それなりに自己の置かれている立場について理解する能力を有し、申立人よりも相手方に強い思慕・愛着の念を懐き、もはや互いに離れ難い状況にあるのであつて、この現況は恵子の福祉のためになんとしても保護する必要があると認められる。今仮りに恵子の身上監護を申立人に変更し、同女を札幌に連れ戻すとするならば、申立人側には前述のとおり一般的な物的・精神的状況が完備されてはいるものの、恵子の気持が申立人からかけ離れている現実は如何ともし難く、申立人との間で正常な親子関係に復するものかどうか又はその過程にあつて同女に与えるであろう精神的動揺は誠に憂慮されるものがある。

以上の点を勘案すると、将来恵子が一層の社会的経験を積み、考えを改めるに至ればとも角、現状においては、従来どおり相手方に身上監護を託すのが相当であり、此の時期に申立人に親権者を変更することは妥当ではないと考える。

結局本件申立は理由がないことに帰する。

(二)  子の引渡について

子の引渡請求は、親権者(民法八二〇条)、後見人(同法八五七条)又は監護権者(同法七六六条)らの子に対して有する身上監護権の行使を不当に妨害する者に対し、その妨害排除を請求することに外ならないところ、申立人は既述のとおり恵子の親権者に変更することは認められないうえ、後見人、監護権者に選任又は指定されていないことが明らかであるから、引渡請求権を行使する前提となる資格を欠いている。よつて引渡請求権存否についての実質的要件について判断を加えるまでもなく本件申立は失当である。

以上の次第であるから申立人の本件各申立は、いずれも理由がないからこれを却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 今井俊介)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例